月乃光司さんの詩 「お腹にいるぽぽちゃんへ」

自分の「生きづらさ」を自慢しあい露出しあう事により、「生きやすさ」につなげていく、生きるヒントの分かち合いの祭典の「こわれ者の祭典」のイベントに昨日参加してきました。

昨日のイベントで、月乃光司さんがこれから生まれてくるお子さんへ向けて朗読された詩に感動しすぎて会場でも涙がとまらなくなり、もういてもたってもいられなくなって、帰宅してすぐUst録画配信をすぐに見直して、また泣きながら書き起こししてしまいました。。。
ちょっと長いけど、ここに文面をシェアします。
生きづらさを感じている人、子供がいる人、親子関係で悩んでいる人、人生に悩んでいる人、ぜひ一度読んでみて下さい。
そして、もし良かったらUstの録画動画が残っているので、月乃さんの魂のシャウトも見てみてください!!!
一番下にリンクを張りました。

 

「お腹にいるぽぽちゃんへ
ぽぽちゃん、パパはアルコール依存症ですが、
ぽぽちゃんは成人したらお酒を呑んでもいいです。
ぽぽちゃんはアルコール依存症サラブレッドです。
もしぽぽちゃんがアルコール依存症になったら、パパが入院していた精神病院を紹介します
院長先生とパパはお友達です。
ぽぽちゃん、お酒は呑んでもいいです
そして、アル中になったら治療があります

ぽぽちゃん、覚せい剤は、覚せい剤は、覚せい剤だけはやってもいいです
でも、シンナーと危険ドラッグはやらないで下さい
シンナーと危険ドラッグは一発で命をもっていかれる時があります
シャブはたしなむ程度なら特にやめろとは言いません
万が一、ぽぽちゃんが覚せい剤の依存症になったら、
パパが薬物依存症リハビリ施設のダルクを紹介します
ダルク代表の近藤常男さんとダルクスタッフの田代まさしさんは、
パパのお友達です

ぽぽちゃん、借金がかさんでもそんなに気にしないで下さい
踏み倒す道は必ずあります。
先物取引に失敗して、借金が億を超えても、それでも今までの人生で死にたいと思ったことが一度もないと平然と語っている末井昭さんはパパのお友達です
借金がかさんでも死を選ぶような重大な問題じゃないです

ぽぽちゃん、犯罪は、犯罪は、犯罪はしてもいいです
万一、犯罪を犯したら、でも、自首をして刑務所に入ってください
刑務所に18年入っていた元連合赤軍のしおみたかやさんはパパのお友達です
新宿ロフトプラスワンで行われた塀の中の懲りない面々というイベントにパパが出演した時、パパ以外は全員前科があって全員刑務所に入ったことがありました。
パパはなんだかとっても刑務所に入ったことがないのが恥ずかしかったです。
そのイベントで、しおみたかやさんが「男たるもの、男子たるもの、一生に一度は刑務所に入るべきだ」と真剣に力説していました
ぽぽちゃん、この話は信じないでください
間違ってます。反面教師です。
でも、万一ぽぽちゃんが何かをしでかして、そしたら自首をして刑務所に入ってください。
そしてぽぽちゃん、模範囚になってください
パパが退所の日に迎えにいきます

教訓を言います。
教訓1
パパは27歳までお酒を呑んでいました。
お酒を呑まないと生きることがどうしようもなかったです。
お酒がこころの杖だったのです。
お酒を呑まない生き方をはじめた時、そして今でも、パパはどうやって生きていけばいいか、全然分からなかったです。
50歳の今もシラフの生き方を学んでいます。
ぱぱは今、こう思っています。
人生の大抵の問題は場数と慣れで解決すると。
場数は恥をかくこと、笑われることの場数です。
ぽぽちゃん、パパのシラフの人生は、恥をかいて笑われることの連続でした。
それは今も続いています。
ポポちゃんも家の恥になること、世間様から笑われることを恐れないで下さい。

教訓2
ぽぽちゃんが大きくなって、学校に行ったり、会社に入ったり、刑務所に入ったり、精神病院に入院したり、自助グループに入ったりすることがあるかもしれない。
どんなところに行っても、ぽぽちゃんをいじめたり意地悪な人は必ずいます。
どんなところに行っても優しい人ばかりいる優しい天国はどこにもないのです。
優しくない人と一緒にいることも時には大切なことです。

あなたが生まれてきて20になった時、パパは70です。
一緒にいられる時間はあまり長くないかもしれない。
パパとママは、出生前検査は一切しないことにしました。
あなたに障害があってもあなたはあなたで、
あなたの人生を送ってくれればいい。
それがあなたにしかできない、あなたらしい人生だから。
ぽぽちゃん、あなたはアル中のパパと心を病んだことがあるママの希望です。
そして、ぽぽちゃん、あなたはパパとママの絶望なのかもしれない。
いつかお互いに親離れ、子離れする時期が必ずくるんですね。
いつか、別々の人生を歩むときが必ずくるんですね。
その時、パパとママの子育ては終わるんですね。

パパは、あなたに期待していません。
それはパパが親の期待を悉く裏切ってきた人間だから。
期待は、時には重いものです。
ぽぽちゃん、アルコール依存症になっても
ぽぽちゃん、薬物依存症になっても、病気には必ず治療があります。
ぽぽちゃん、借金があっても、
ぽぽちゃん、刑務所に入っても
ぽぽちゃん、精神病院に入院しても、
ぽぽちゃん、人に笑われても、人生ぼろぼろでも、人生めためたでも、
どんな時でも、人生は必ずやり直しがききます。
人を殺さないこと。自殺しないこと。
シンナーと危険ドラッグをやらないこと。
誰かをぜったいにいじめないこと。
あとのことは、自由に生きていってください。
あとのことは、自由に生きていってください。
パパとママのぽぽちゃん。僕のあかちゃん。
そして、いつの日か、パパとママを見捨てて、あなたの人生を自由に生きていって下さい」

 

Ust生動画 上記のシャウトは58分15秒辺り〜
http://www.ustream.tv/recorded/80448537

11/10 ミンダナオ子ども図書館運営 松居友さん イベントレポート

○ミンダナオ子ども図書館(MCL)とは?

ミンダナオ子ども図書館とは、フィリピンのミンダナオ島を中心に活動する現地法人だ。

政府軍と反政府勢力との紛争が絶えない地域に図書館棟をたてており、ここで身寄りのない約80名の子どもと20人の大人が共同生活を送っている。

ここに住む子どもたちは朝4時半には起き、自分たちでご飯を炊き、掃除や野菜作りから庭造りまでこなす。
ミンダナオ子ども図書館は、大きな家族、共同体ともいえる1つのコミュニティとなっているのだ。

松居友さんは、このミンダナオ子ども図書館を運営されていらっしゃる方で、ご自身もご家族と一緒に、ここで子ども達と共同生活を送っている。

 

○活動の根幹にあるのは「絵本の読み聞かせ」

ミンダナオ子ども図書館で暮らす子どもたちの多くは、孤児、片親、崩壊家庭の子たち。

しかし、松居氏によると、ここで暮らす子どもたちは素直でとても優しい性格の子ばかりだという。

活動の根幹にあるのは「絵本の読み聞かせ」。

絵本の題材となる「昔話」が示唆する人生の知恵、教訓というものは、その後、子ども達が生きていくための力を育むことに繋がるのだという松居さんのお話にとても共感した。

松居さんが話して下さった1つの昔話が非常に印象に残った。その話はこうだ。

ある鬼婆が自分の息子を溺愛しており、檻に閉じ込めて大量の食事を与えて息子を囲い込みながら、肥やし太らせていた。

その息子は、ある女の子と恋に落ちたことがきっかけで、檻を破って家を出ていく。。。

母親と息子の関係性。思春期に訪れる反抗期。子どもの自立のきっかけとなる恋。。。

そんな話が凝縮された昔話だった。

絵本の読み聞かせをされている子ども達は、まだまだ自立とは程遠い年齢だろうし、現実感のある内容ではないかもしれないけど、いつか、その寓話を聞いて感じたことが、今後、生きていくための糧になっていくのではないかと思う。

 

○本当に大切な学びは「学校の中」じゃなくて「遊びの中」にある

学校は、何のためにあるのだろうか?

私は、小学校高学年になる頃から学校が大嫌いになっていった。

みんな先生に従順であることや均一化されることを要求され、テストの点数で評価される世界。

ちょっと目立ったり成績が優秀な人はイジメの対象になったりする。

同調圧力が支配する学校という場は、ただただ生きづらい場所で本当に大嫌いだった。

だから、学校って何なんだ?教育って何なんだ?と考えることがよくあったのだけど、松居さんのお話の中にその答えが見えた気がした。

「本当に大切な学びは『学校の中』ではなくて『遊びの中』にある」

自分の幼少期を振り返っても、友達と喧嘩したり、イジメられたり、イジメに加担したり、新興宗教の家の子と遊んだり、モンゴル人の友達と遊んだり、皆で夜な夜な肝試しをしたり、、、そうした経験が、今の自分の糧になっているなと思うことが多い。

遊びの延長線上で、人を傷つけたり傷つけられたり。泣きじゃくったり、自分達で誰も考えないような「遊び」を考え出してはゴーストハンターごっこをしたり。

そうして築き上げた友情だったり、想像力だったり、辛くて切ない思いが、今の私の感受性を育んでくれて、今の私を形作ってくれている気がする。

その多くは決して、学校の机の上で学んだものではなかった。

 

二元論じゃなくて一元論

西欧の価値観でよくある善悪二元論

誰かを悪者と決めつけて、自分が正義のヒーローだと謳いあげる。

「だけど、世の中、そんな分かりやすいもんじゃないよね」と松居さんは語った。

善も悪もコインの表と裏のように光と影があるように、その境はファジーで曖昧なもの。

人間も一人一人、善の部分と悪の部分を持っていて、だからこそ善い人間であろうと皆、努力しているはずだ。

日本では今、「勝ち組」「負け組」なんていうフレーズが跋扈しているけど、それも、コインの表と裏なのだと思う。

「勝ち組」に見える人にも影の部分があり、「負け組」に見える人にもとても明るい光の部分があるはずだ。

私は過労でうつ病になってから、それまで追い求めていた全ての夢を一度、全部捨て去っってしまった。

高い理想を追い求めて、我慢に我慢を重ねていつか努力が報われる日がくるはずだと自分の限界に挑戦し続けて、自分を崩壊させてしまった。

そのどん底にいた時に救われたのが般若心経の無の思想。

「ああ、人生には正解も不正解もなくて、良いも悪いもないんだなぁ」という考え方にたどり着いて、まさにこれも「一元論」とも言えるんだろうけど、それで肩の荷が下りた。

「あれはいいけどこれは悪い」という「二元論」ではなく、もっとファジーで優しい「一元論」が、私も世界の本質だと思う。

 

 

松居さんのお話は、こうした哲学的な示唆に富むお話が多く、非常に実りのあるトークイベントだった。

有隣庵というゲストハウスのオーナーが「日本の無人島に図書館を作って『人生のお休みが出来る場所』を作りたい」という夢を語っており、私もそれやってみたい!!!と思っていて、その話を桂東さんにしたことで開催が決まった今回のトークイベントでしたが、感謝至極です!

松居さん!この度は、貴重なお話を聞かせて下さって、大変有難うございました!!!

私もいつか必ず、ミンダナオ子ども図書館に滞在しに行きます!!!

 

わたしの絵本体験

わたしの絵本体験

 

 

サンパギータのくびかざり

サンパギータのくびかざり

 

 

昔話の死と誕生

昔話の死と誕生

 

 


戦争と平和:和平構築と洪水対策 ミンダナオ子ども図書館 - YouTube

「ポリアモリー 複数の愛を生きる」ブックレビュー

○好きな人が同時に複数いるのは自然なこと!?

「わたしにとって好きな人が同時に複数いることは、ごく自然なことだった。(中略)

当時、女子の間では交換日記が流行っていて、そこには好きな人ベスト3を書くのが定番だった。(中略)でも、なぜ子供の頃は同時に好きな人がたくさんいてもおかしくないのに、大人になるにつれ、一人の人だけを愛するようになるのだろう」

 

これ、本の冒頭文なのだが、まずここでノックアウトされた。

そういえば、小学生の頃の私も好きな人ベスト10を書いていた。。。

<一対一>のお付き合いが当たり前のものだという意識は、恋愛映画やらテレビドラマから入ってくる情報によって無自覚的に意識づけられた固定概念という名の「常識」だったのかもしれない。

それでは、小学生以来、やっていなかった好きな人ベスト10を今から書けるか?と言われると、恐らくスラスラと書ける気がする。。。

だって、魅力的な異性は多すぎるから。。。

 

○ポリアモリーって? 不倫とも浮気とも違う「誠実」な愛のかたち-

それでは、複数愛を実践するポリアモリーとは何なのだろうか?

ポリアモリーの定義について、以下、本からの引用~

 

「日本やアメリカをはじめ、現代社会の多くの国が一夫一婦制(モノガミー)を採用している。わたしたちの生きるモノガミー社会では、一人の人間を愛し、貞操を貫くことこそが『誠実』な愛の証。

だが、しかし…。「複数の人を本気で愛している」という自分の気持ちに、嘘をつく必要はないのではないか?と考える人びとがいる。

彼らは『<一対一>の愛だけが正しいわけではない』『愛は社会規範が保証するわけではない』『愛する人数は自分の意志で決めるべきだ』と主張し、新しい選択肢を加えた。それは、同時に複数のパートナーと『誠実』に愛の関係を築くという道である。

複数愛の可能性を探究する彼らは、自分たちの愛のかたちを「ポリアモリー」と名付けた。

複数愛といっても、ポリアモリーには条件がある。

それは自分と親密な関係にある全ての人に交際状況をオープンにし、合意の上で関係を持つこと。したがって、パートナーに隠れて複数の人と関係を持つようなことはポリアモリーではない。また、ポリアモリーは性的な関係を持つことを第一目的とするスワッピングの人間関係とも異なる。

ポリアモリー実践者の目指す関係は、感情的にも身体的にも深く関わり合う持続的な関係である。(中略)

複数の人を同時に好きになってしまった自分やパートナーを否定することなく、むしろそうした自分やパートナーの「ありのまま」を受け入れようとする。それがポリアモリーの魅力であり、目指すところである」

 

なので、ポリアモリストとは、自分の恋人や奥さんに隠れてコソコソ浮気する人のことではない。セックスだけの関係を持って、お互いの感情を無視する人のことでもない。

「感情的にも身体的にも深く関わり合う持続的な関係」を目指しながら複数愛を実践する人たちのことをポリアモリストというようだ。

 

○愛を<持つ>べきではない?

<一対一>の愛を実践するモノガミーは、一人の人を束縛、すなわち「持つ」愛とも言えるかもしれない。

一方のポリアモリーは、「愛を<持つ>べきではない」との思想を持つ。

哲学者のフロムも、愛に関してまったく同じ考え方をしていたという。

以下引用~

 

「愛が持つ様式において経験される時、それは自分の<愛する>対象を拘束し、閉じ込め、あるいは支配することの意味を含む。それは圧迫し、弱め、窒息させ、殺すことであって、生命を与えることではない。 フロム一九七七」

 

ポリアモリストは他者への執着を否定し、互いに所有することなく愛し合うことを理想としている。だからといって、嫉妬は完全に排除すべきもの、というわけでもない。

そうした苦しい現実も受け止めていこうというのがポリアモリーの基本姿勢だそうだ。

嫉妬=執着=独占欲の始まりが、ある意味で恋心でもあると思うが、その嫉妬心にも、とことん向かい合ってコミュニケーションを取り合いながら、複数愛の実践を試みる。

それは、陰でこそこそ浮気するモノガミーよりも、誠実な一つの愛のカタチなのかもしれないと思った。

 

○ポリファミリー ~自分とは異なる<他者>を認める~

「ポリファミリー」とはポリアモリストが形成する家族のこと。

すなわち、ポリファミリーは、一対の男女の性愛や血縁を基盤とする「従来の家族」像には当てはまらない。

ポリファミリーを築く人々は、血縁や法的な絆はなくても強い絆のある「ファミリー」をつくることができる、と強調する。

以下、ポリファミリーを築いている人の発言を本文より引用~

 

「ファミリー・ジナジーはコミューンではない。オルタナティブな家族を築いている人々のサポート教育グループだ。ファミリー・シナジーの理念は、自分とは異なる<他者>を認めよう。それだけだ」(シナジーとは、「相乗効果(協働)」の意味)

「一つは、自分とは異なる家族を築いている<他者>との協働だ。モノガミーのファミリー、ゲイ・レズビアンファミリー、シングルマザー・ペアレントファミリー、ステップファミリー、ポリファミリー。アメリカにはさまざまな家族のかたちがある。みんな大切な人と暮らしているだけだ。もし隣の家が自分と異なるファミリーであっても、受け入れ、助け合うことができたら日常は豊かになろう。

もう一つは、家族内の<他者>を受け入れることから生じる。血や法の絆があるかどうか、一緒に住んでいるかどうか、あるいはセクシュアリティの違い、ジェネレーションの違い、それらに関係なく互いを認め、ともに生きていければ、素晴らしい相乗効果が期待できよう。自分とは異なる<他者>を受け入れることは、自分の人生を豊かにする道具になりうると信じている」

 

今年の四月から私はシェアハウス転々生活を始めた。

そこで体感してきたライフスタイルは、まさに「ファミリー・シナジー」だった。

様々な属性の人たちが一緒に共同生活を送っており、血縁も法的な縁もないけれども、まさに「家族」といえるような人間関係を築いていた。

その魅力にとりつかれた私も、こういった<他者>同士が家族のように繋がり合う空間づくりに携わりたいと考えている。

ポリファミリーの人たちが実践するライフスタイルもまさに私の理想であり「自分と異なる<他者>を認め合う」空間、場、人の輪が広まっていくために、今後、貢献していきたい。

 

○私自身はポリアモリーなのだろうか…?

さて、この本を読んだ結論として、自分自身の性的志向はモノガミーか?ポリアモリーか?考えてみた。

現時点では、ポリアモリーに共感するけど、現実問題として今は恋人はいないので、ポリアモリー志向だけど、恋人はいません、という感じだろうか。。。

以前、レズビアンタレントを自称されているまきむぅさんの「百合のリアル」を読んで感銘を受けたフレーズが「性的志向は常に一定ではなく、変わりゆくモノ」というメッセージだった。

彼女は、最初は異性愛者だったが、バイセクシュアルじゃないかと悩み、同性愛にたどり着き、その後も自分の性的志向は変遷していくかもしれないと言っている。

「自分は死ぬまで○○だ」なんて決めつける必要はないと思う。

私にも恐ろしい執着心を発揮してしまうような魅力的な異性が今後、突如現れたとしたらモノガミーになるのかもしれない。

今は中途半端に色んな人を一方的に好きな状態なので、誰か一人に絞れないし恋愛に踏み出す気分でもない恋愛力ゼロのポリアモリー、、、という感じだろうか。

 

○結婚制度は恋愛の延長線上ではなく「子育て」のための制度では?

本を読んでから女友達とポリファミリーで育つ子供はどうなるのか?という議論になった。

親が性的に奔放な家庭の子どもは、非常に傷つくのではないか?という懸念だ。

私の友達でも父親が浮気性のために家庭内の不和が非常に多く、父親が大嫌いだったのに、自分も気がつくと父親と同じような浮気性の男になっていて悩んでいるという人がいた。

なんの罪もない子供が、不誠実な親のせいで不幸な道を歩むことほど忍びないことはない。

「恋愛」と「子育て」は別モノだ。

惚れたはれたで喧嘩しては別れたりくっついたりを繰り返したり。。。

恋愛はそれでもいいけど、子育ては20年かかる一大事業

子どもが生まれた途端に、人生の優先順位は圧倒的に「子ども」になるはずだ。

「子育て」するとは、男と女である人間が20年間一度死に、父と母になるということ。

だから、お互いに対する恋愛感情は置いといて、子どもに対して20年間誠実に向き合う覚悟がありますか?というのが本質的な「結婚制度」のある意義だと思う。

それこそ、子育てする気がないなら、結婚しなくてもいいのではないかと個人的には思う。

恋愛感情は移ろいやすいものなので、死ぬまで色んな人と恋愛を積み重ねていくのも一つの人生の在り方として素敵だなと思うから。

 

ポリアモリーの本では、あらためて「愛」って何だろう?「家族」って何だろう?ということを深く考えさせられた。

みんな、一読することを超絶おススメするよ!!!

 

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)