傷口と一緒に生きる

たくさん感動したり死ぬほど傷ついたり、嬉しいことがいっぱいあったり、平坦でネクラな日常が続いたり、、、
いつもより元気がないなとか言われる一方で、いつものまいちゃんに戻ったねと言われたり、どれが本当の自分なのかなんて皆目検討もつかなくて、
どんなテンションであろうとネクラだろうとネアカだろうと、全然性格が違っていたとしてもどれも私であって
会う人や日によって私の性格もコロコロ変わって、八方美人というよりか、ユルい意味合いでの多重人格的な部分は多かれ少なかれ誰にでもあると思うけど、私もそんな感じなんだと思う。
小さい頃に傷ついた私も、伸び伸びしてた私も、友達がいなかった頃の私も、友達がいた頃の私も、初めて彼氏ができた時の私も、就活鬱になった私も、働いてたときの私も、ニートの時の私も、今の私も、みんな違う私なんだけど、どれも私だ。
明日の私も今日の私とは違うんだろうし、10年後、20年後の私も今の私とは違うんだろう。
私とはコレコレだ、とかレッテル貼ってみたり貼られてみたりして、だけど、そのうち、レッテル貼られることが異様に不快になって脱ぎ捨てたくなって、私はそうやって変わり続けているのだけど、
きっと本質的な部分の私はいくら私が変わり続けようが死ぬほど傷つこうが、何も変わってはいないのだろう。
じゃあ私の本質って何だ?って考えるときに思い浮かぶのは一番古い記憶の3歳児の私で、いつもあの頃の感受性を取り戻したいと思いながら生き続けている。
あまりにも感情の起伏が激しすぎる日常を送っているとふと忘れがちになるのだけど、私は本質的にはシャイで人に対して優しくありたいなとだけ思っている。
そして自分の感性の赴くままに何かをするのがとても好きだ。
自然の中で、ずっーと一人で遊んでいるのが小さい頃は大好きだった。
傷ついたりネクラになる度に自分がすり減っているのではないか?という被害妄想にかられるのだけど、私は何一つすり減ってなくて、もっというと傷ついて回復する度に人への思いやりの気持ちは深くなったし、優しくなれたし、アップデートされてきた。
傷つくことは怖いけど、これからも怖いけど、逃げないで泣いて苦しんでまたアップデートしてけばいいんだろう。
もっといえば、まだまだ私は自己中で傲慢で、だから人に期待しすぎて傷ついて、人間的に未熟過ぎるだけなのだろう。
これから先、もっといろいろあるだろうけど、私も私の自己中さを振りかざして、さらに人を傷つけたり傷つけられたりするのだろうけど、過去の私より今の私の方が思いやりのある人間だなぁと思うし、どの時の自分と友達になりたいかといえば、今の自分が一番好きだし、だから過去の自分にも過去の傷にももう、囚われないで今を楽しく生きていきたいなと思う。
今まで私を傷つけてくれた経験がどれだけ未熟な私を成長させてきてくれたことか。
もう、傷口を見てクヨクヨするのはやめよう。
傷口はナデナデしてあげよう。
そして、変わることも傷つくことも恐れずに、私の傷口と一緒に生きていこう。